自分ノート

我が人生の回想録。記憶の中から思い出したことを書き残すブログ

理想の家庭

自分が育った家庭がとても嫌いだった。

 

両親とも厳しく、毎日のように殴られていた。

いわゆるスパルタ教育で、自分には合わなく辛かった。

小学校から帰って来ると、毎日母親に勉強させられ、答えられないと頭をバレーボールのように何度も何度も叩かれた。父親は酒を飲んでキレると半殺しのように激しく殴った。

親父が大酒飲みだったのでオレは飲まない人になった。

 

寝ている時間、毎日のように両親が激しい口論をしていて耳を塞いでいた。

とても辛かった。

 

何か嫌だと訴えると、子供のくせに偉そうに口答えするな!親の言う事を聞いていればいいと言われ、子どもは親の私物だった。

 

やがて高校生にもなり、グレて両親とは口も聞かなくなった。

 

大学卒業と同時に5年間付き合っていた女性と結婚した。

 

一刻も早く家を出て、自分の理想の家庭を作りたかった。

 

自分は一生懸命働いて家族を養う。

奥さんは毎日奇麗な家で美味しい料理を作って帰りを待っててくれる。

子供たちは楽しそうに遊んでいる。

平凡だが慎ましく笑顔の絶えない家庭。

 

3人の子供にも恵まれた。

家も新築戸建てを建てることができた。

 

自分の親が生きている間に、ほら!これが理想の家庭っていうんだよ!と見せつけてやりたかった。

 

 

しかし………

 

これは自分勝手に自分が描く理想の家庭像であって、独りよがりだったようだ。

 

元奥さんの描いている夢や理想とは少し違った。

 

子供たちも幼年時代、自分が親からされたスパルタ教育の影響もあったり、悪ふざけが過ぎ辛い思いもさせてしまった。

 

やがて夫婦関係もギクシャクし、仲も悪くなっていった。

 

次男が大学を卒業した頃離婚した。

30年以上の婚姻関係が終わった。

 

理想の家庭

 

自分は失敗してしまった。

夢に描いていた理想の家庭を作る事ができなかった。

人生で一番欲しかったものだったのに叶わなかった。

 

63歳になった。

もう理想の家庭を作ることはできない。

 

 

その元奥さんが急性心不全で突然他界してしまった。

心からご冥福をお祈りしたい。安らかに眠ってほしい。

離婚後はオレに縛られず、幸せな人生だったと聞き良かったなぁ~と思う。

 

突然のことで残された子供たちの悲しみは伝えようがないほど大きい。

こんな突然、母親が亡くなってしまいショックのほどは察することができないほどだ。

しかし3人とも素晴らしい人間に成長したことを自慢に思う。元奥さんのおかげと心から感謝している。

 

子供からもぜひ来てほしいと声をかけてもらい、何日か一緒に過ごしたが、いろいろ悩んだ末、告別式と葬式は遠慮させていただくことにした。

 

人はいつまでこの世に生かされるのかわからない。

残された命、どう生きるかよく考えたい。

 

 

追加

ブログでは自分の親のことを悪者のように書いたが、二人ともすでに他界している今、まったく根に持っていない。

もちろんいい思い出だってある。

 

当時は行き過ぎたスパルタ教育、戸塚ヨットスクール事件など、そう言うのも教育の正論だったし、何かと一番厳しくなってしまう長男でもあるオレが、まったく言う事を聞かないヤツだったという、親からみたら育てにくい子どもだったと思う。

何でも自分で考え自分で実行したい性格で、親の言う事を素直に聞くような子ではなかった。

その反動で、自分の子どもにはほとんどレールを引かず、放任主義のようになってしまった。

何が正しく何が間違ってるのか分らないが、親というのもトライ&エラーの繰り返しだと思う。