自分ノート

我が人生の回想録。記憶の中から思い出したことを書き残すブログ

大学生活(3)

大学でも大勢のローラースケート仲間ができ、楽しい仲良しサークルができたのだが、結果としてすべてぶち壊してしまった。

後楽園の常連仲間とも決別をすることになる。

 

何があったのか?

 

当時後楽園ローラースケート場に行くと、普通にカップルとかが手をつないで滑っていたりする中、とびきりうまい「常連」たちが猛スピードでその中をすり抜けてゆく。

しかし、もっとすごい人たちがいた。

競技者の人たちだった。

 

後に知ったのだが、ローラースケートにも、フィギアスケート、スピードスケート、そしてホッケーの3種目がある。

 

我々日本人はフィギュアスケートと言えば、それはアイススケートだろ?って思うけど、地球には冬になっても氷ができない暖かい国もある。そういう国ではローラーフィギュアが盛んなんだと。

特にそのローラースケートでフィギュアを練習している選手たちを見てて、自分も同じことをしてみるのだがぜんぜんできない。

もうかなり上達していて自信もあるのだが、フィギュアスケートの技はその程度のレベルではできないのだ。

ジャンプもスピンもステップも、アイススケートよりさらに難しいのだそうだ。

なにせ4輪のタイヤでスピンしなければならないし、ジャンプの着地は4輪同時に着地しなければスリップして転倒してしまう。さらにはシューズの重さがアイススケートの比ではないほど重たい。いろいろハンディは多いがそれでも華麗に滑っている選手たちを見てほんとにすごいと感心したのだ。

内容はすべてよく知っているアイススケートと同じだ。ジャンプの種類もアクセル、ルッツ、サルコー、ループ、トーループとまったくアイススケートと変わらない。

 

中学高校と真剣に部活でバレーボールをしてきて、やっぱりやるならとことん真剣にやりたい!

ただナンパ目的で滑っている常連たちとも、自分で集めておいてなんだが、だたの仲良しサークルではなく、ローラースケートを極めたくなってしまった。

 

まずは一人で後楽園クラブというフィギュアスケートのクラブに入会した。

当然オレは最初小さな子供たちと一緒に基礎を習う。コンパルソリーと言って描かれた円を正確に片足でトレース、途中で足を替えたり前進からバックに変更したりしても、その円から脱線しないよう姿勢もふらつかずに滑れるようにならないといけない。

靴もフィギュアスケート用の靴を買った。

大学の仲間には、本気でローラーフィギュアを競技としてしたいので、このままただ滑って楽しむのは各自の自由だが、オレとしては競技志向の部活へと変更したいと申し出た。

 

結果、女性は全員、男子は数名を残して解散してしまった(;^_^A

大学1年生の秋頃か冬頃だっただろうか・・・・ 

仲良しサークルはそれで分解バラバラになった。

 

しかし結果から言えば、その後2年になり新入生が入ってくると後輩も入部し、オレが大学4年生のとき、正式に大学から体育会系部活の認可が下りたのだった。

当時体育会系の部活には4段階のクラスがあり、その最初の研究会という名称ではあったが、一応体育会に属する正式な部活に昇進した。

 

さらに大学卒業後、20年とか25年後記念式典に呼ばれ、この部を作った初代主将として挨拶する機会まで頂けたことは光栄極まりない。

 

何十代と後輩が繋ぎ続けてくれたことも感動だった。

そうはいってもフィギュアを目指す人はもういなく、ローラーホッケー部になっていたのだが(笑) 

大学生から初心者がフィギュアスケートを目指すのはなかなか難しいからねぇ。

 

以上、遠い遠い昔40年前を振り返った時の大学時代の思い出でした(笑)

 

自分で言うのもなんだが、凝りだしたらとことんしたい真面目な性格だと思う(笑)