上野に住んでいた時の記憶
3~4歳くらいまでは上野に住んでいた。
親が千葉県に戸建を建て引っ越すまでのことだ。
父親方は山形県米沢市出身だが、父親は幼年期から東京の練塀町(現在の秋葉原あたり)に育ち、母方はもとは福島県だが母親は神田で育った。二人とも東京育ちだ。
そしてオレが生まれ、上野で暮らしていた。
住所は台東区上野7-10
住所をグーグルで探ってみるとびっくり!
なんと上野駅の目の前だ!
もちろん現在は当時の面影すら残っていないが、ここに母方の祖母の家があった。そこに両親とオレは間借りして住んでいたのだ。
家へ繋がるアプローチは1mくらいしかない狭い通路を通って玄関に至る。
木造2階建てだったが、かなり小さい家だったと思う。
オレはほぼ毎日、家の前の広い道路にろう石で絵をかいて遊んでいた。
書いている絵はほとんど鉄人28号だったように思う。
週に一度鉄人28号を白黒テレビにかじりついて見ていた。
その光景、雰囲気も鮮明に覚えている。
オープニングのシーンも歌も・・・・
鉄腕アトムも好きだったが、一番好きだったのは鉄人28号だった。
また、近くにうなぎ屋があり、ガラス越しにウナギをさばいているのを見ることができた。それをじっと見ていたこともよく覚えている。3歳くらいの子供がひとりで歩いて行ける距離だから数10メートルなのか?定かではないが家から結構近い距離だったのだろう。
上野駅で汽車を見るのも大好きだった。
いつも上野駅にはたくさんの汽車が煙を吐きながら停車していた。
あるとき、父親に煙の出る機関車のおもちゃを買ってもらった記憶がある。
上野動物園でサルが運転する汽車にも乗った記憶がある。
家の前の道路に絵を書いて遊んでいると、いつも見知らぬおじさんから声をかけられた。荷車を引いてゴミのようなものを乗せている労働者だ。
母親は汚い彼らを毛嫌いし、接しないようにとオレに注意するのだが、オレは人懐っこかったみたいだし、彼らもよく可愛がってくれた。
ある日、何か欲しいモノあるか?って聞かれたので、鉄の笛って答えた。
上野駅の駅員が持っている銀色に輝く、本物の鉄の笛が欲しかったのだ。
プラスティックのは持っていたが、金属製じゃないと嫌だったwwww
何日かして約束通り、おじさんはオレに金属製の笛を持ってきてくれた。
原因は何だったのか?知らないのだが、ある時病院に連れていかれた。左手首が膿んで腫れていたようで手術するためだ。
無理やり押さえつけられ、何か苦いようなものを口に押し付けられた。
オレは泣いて発狂するように抵抗したが、知らないうちに気を失った。全身麻酔だったようだ。
それ以来病院が大嫌いになり、その前を通る時があると、また病院に連れていかれるんじゃないかと大騒ぎをして、しゃがみこんで絶対病院の前の道に行かないと抵抗した。
今でも左手首に大きな手術痕が残っている。
昭和30年代、今とは全然違う風景だったが、人々も笑顔で平和ないい雰囲気だった。
終戦から15年しか経っていないというのに、オレの記憶には「戦争」らしいことは一切ない。もう経済成長で大忙しだった時代だったのだろう。